寺報「ねがい」
お知らせ
2025.05.25
辛抱してもらって 生きてきた私
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(前略)私が他所へ出かけるとき、自転車で六キロばかり山を下るのですが、途中、地蔵峠という坂道にお地蔵さまが立っておられます。出がけには「ご挨拶を忘れぬように…」と自分に言い聞かせるのですが、坂道を風を切って下るのが気持ちいいものですから、たいていご挨拶を忘れてしまいます。ところが、自転車を押して坂道を上がる帰りのときは、いつもハッとします。お地蔵さまが私を拝んで下さっているのです。私がご挨拶を忘れて坂を下るときにも、やはり拝んでいて下さったに違いないのです。私が合掌するよりも先に、拝んで下さっているのです。(中略)

拝まない者も、拝まないときも、拝まれているという、大いなる願いに願われている私に気付かせていただくときに、大いなる生命と一つにつながらせていただけます。

出典:東井(とうい)義雄(よしお)[1]「正直者からは正直者の光が」探究社・法藏館(令和6年8月)15頁—17頁

[1] 1912年、兵庫県豊岡市但東町の真宗寺院に生まれた。1932年に兵庫県姫路師範学校を卒業して40年間、県下の小・中学校に勤務。ぺスタロッチー賞(広島大学)、平和文化賞(神戸新聞)、教育功労賞(文部省)など、数々の教育関係の賞を受賞。篤信の念仏者としても知られている。1991年4月18日に逝去。豊岡市但東町(元町役場に隣接)に東井義雄記念館がある。