寺報「ねがい」
お知らせ
2025.04.23
「きばり心」を抜いたとたん あんな快い 安らぎの世界に変わる
Image

(前略)私は、初め、お灸の熱さに負けまいとする「きばり心」の重みで、熱さの底に沈み、熱さの苦しみに溺れていたのです。それが「きばり心」を捨てたとたん、熱さが苦にならない世界に浮かせてもらったのです。

どなたのお作か存じませんが、「散るときが浮かぶときなり蓮の花」という句が思い出されます。「自分が…」という「我」が散ったとき、ポッカリ、安らぎの世界に浮かばせてもらうのです。水に「浮力」があるように、私に注がれている「本願力」が、沈むしかない私を、浮かせてくださるのです。

散歩中、村の牛飼いさんに「ご苦労さんです」と挨拶しましたら、「はい、飼料は高いし、牛の値は安いし、土曜・日曜どころか、盆も正月もありません。よい事は何もありません」と、嘆きの言葉が返ってきました。

そのことを思い出しながら、また別の牛飼いさんに「ご苦労さんです」と申しましたら、「はい、おかげさんで、きょうも、牛どんに養うてもろとりますわい」という言葉が返ってきました。その方が、後光を放っておられるようでした。同じ牛飼いさんでも、生きておられる世界は同じではないと、教えられました。

出典:東井(とうい)義雄(よしお)「正直者からは正直者の光が」探究社・法藏館(令和6年8月)13頁—15頁