(前略)娘は、戦後の物の不自由なさ中で学校生活を送りましたが、「お父ちゃん、今度も靴の配給のくじがあたりませんでした」「あたってほしかったな、足の指が全部出てしまっているんだな」「でも、わたしにあたったら人にあたらないでしょう。わたしはがまんできるから、がまんできない人にあたった方がよかったんだと思います」などと、配給のあたらなかった事実をぐずぐずいわないで背負って生きる生き方を見せてくれることもありました(中略)
自分の荷まで他人のせいにしてブツブツいう背負い方だけは育てたくないと思います。ただ、一度の自分の人生なのですから
出典:東井(とうい)義雄(よしお)[1]「正直者からは正直者の光が」探究社・法藏館(令和6年8月)9頁—12頁
[1] 1912年、兵庫県豊岡市但東町の真宗寺院に生まれた。1932年に兵庫県姫路師範学校を卒業して40年間、県下の小・中学校に勤務。ぺスタロッチー賞(広島大学)、平和文化賞(神戸新聞)、教育功労賞(文部省)など、数々の教育関係の賞を受賞。篤信の念仏者としても知られている。1991年4月18日に逝去。豊岡市但東町(元町役場に隣接)に東井義雄記念館がある。