寺報「ねがい」
お知らせ
2024.07.01
川のための岸 私のための本願
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川は岸のために流れているのではない

川のために 岸ができているのである

 

川のために岸ができているように

私のために本願ができていてくださるのである

どこまでいっても澄むことのない私

 

いつ どこで どんな大暴れをやって

自他を破壊に追い込んでしまうかもしれないものを

潜(ひそ)ませている 私(中略)

 

どこへいくのかも知らず

それを知ろうともせず

流(る)転(てん)をくり返そうとしている愚かさを見かね

凡聖逆謗斉廻入(ぼんしょうぎゃくほうさいえにゅう)の本願の海を成(じょう)就(じゅ)し

そこへ導き入れ 攝(おさ)め取るために

本願の岸ができ

はたらいてくださっているのである

川のための 岸

わたしのための 本願 なのである

 

出典:東井(とうい)義雄(よしお)[1]「お米のいのち心から拝んでいただく」探究社・法藏館(令和5年8月)18頁—20頁

[1] 1912年、兵庫県豊岡市但東町の真宗寺院に生まれた。1932年に兵庫県姫路師範学校を卒業して40年間、県下の小・中学校に勤務。ぺスタロッチー賞(広島大学)、平和文化賞(神戸新聞)、教育功労賞(文部省)など、数々の教育関係の賞を受賞。篤信の念仏者としても知られている。1991年4月18日に逝去。豊岡市但東町(元町役場に隣接)に東井義雄記念館がある。