私は長い間、教員をやってきました。私たちは、授業の一環として、話し合いという時間を設けています。しかし、私は九州から北海道まで、あちらこちらの授業を拝見させていただいて、これが本当の話し合いだというのには、ほとんど出会うことができません。言い合いなんです。そして言い合いだから討議になります。討議はやっつけ合いです。本当に話し合うというのは、じつは聞き合いなんですね。
だから今の若者たちの像を漫画でかくとすれば、文句はよう言うようになったから、口は相当に大きい。大きいだけでなく、人をやっつけるような口ですから、するどくとがって発達している。目はよろこびやしあわせが、いっこうに見えず、見えるのは、不平、不満ばかりで、飛び出した目になる。耳はどのように書けばいいかといえば、あるかないかの点ぐらい打っておけばいいのではないでしょうか。(中略)私は、これが本当の聞き合いだなと思いましたのは、北海道の根室にある小学校を訪れたときでした。 (中略)
それはどうしてかといいますと、本当にいい顔をして相手の言葉をうなずいて吸収して聞いているから。とがった声でなく、しみ込んでくるような声になっているのです。そして他の子どもがしゃべり出すと、みんなは身も心もそちらに向いて、うなずきながら聞いている。これが本当の話し合い、聞き合いなんですね。
出典:東井(とうい)義雄(よしお)「お米のいのち心から拝んでいただく」探究社・法藏館(令和5年8月)17頁—18頁