川は岸のために流れているのではない
川のために 岸ができているのである
川のために岸ができているように
私のために本願ができていてくださるのである
どこまでいっても澄むことのない私
いつ どこで どんな大暴れをやって
自他を破壊に追い込んでしまうかもしれないものを
潜(ひそ)ませている 私(中略)
どこへいくのかも知らず
それを知ろうともせず
流(る)転(てん)をくり返そうとしている愚かさを見かね
凡聖逆謗斉廻入(ぼんしょうぎゃくほうさいえにゅう)の本願の海を成(じょう)就(じゅ)し
そこへ導き入れ 攝(おさ)め取るために
本願の岸ができ
はたらいてくださっているのである
川のための 岸
わたしのための 本願 なのである
出典:東井(とうい)義雄(よしお)[1]「お米のいのち心から拝んでいただく」探究社・法藏館(令和5年8月)18頁—20頁
[1] 1912年、兵庫県豊岡市但東町の真宗寺院に生まれた。1932年に兵庫県姫路師範学校を卒業して40年間、県下の小・中学校に勤務。ぺスタロッチー賞(広島大学)、平和文化賞(神戸新聞)、教育功労賞(文部省)など、数々の教育関係の賞を受賞。篤信の念仏者としても知られている。1991年4月18日に逝去。豊岡市但東町(元町役場に隣接)に東井義雄記念館がある。