寺報「ねがい」
お知らせ
2024.05.01
仏法というのは 心の味を育てる宗教
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(前略)Mちゃんは、高校の先生方からも太鼓判を捺(お)されていた大学入試を失敗してしまいました。お父さんに呼ばれ、お父さんの前に正座しましたが、顔を上げることもできませんでした。そのMちゃんに対するお父さんの最初のことばは、

「Mちゃん、おめでとう」

でした。あまりにも思いがけないことばに、ハッとしたMちゃんが顔を上げたとき、

「Mちゃん、おめでとう。いくらお金を積んでも、いくら望んでも得られない、いい勉強をさせていただいたね。お父さんも、ずいぶん、いろいろな失敗をしてきたが、仏さまは、その度に、お父さんにとって一番大切なことを教えてくださる気がして、失敗を大切にさせてもらってきた。Mちゃん、いくらお金を積んでも、いくら望んでも得られない、こんどの失敗、どうか生涯大切にするんだよ。それと一緒に…」と、居ずまいを正されました。大切なことを話される時のお父さんのくせです。「自分が得意の絶頂に立ったときにも、どこかに、泣いている人があるということを、いつも考えられる人間になっておくれ」

Mちゃんには、これが、仏さまじきじきのおことばのように思われたといいます。(後略)

 

出典:東井(とうい)義雄(よしお)[1]「お米のいのち心から拝んでいただく」探究社・法藏館(令和5年8月)14頁—15頁

[1] 1912年、兵庫県豊岡市但東町の真宗寺院に生まれた。1932年に兵庫県姫路師範学校を卒業して40年間、県下の小・中学校に勤務。ぺスタロッチー賞(広島大学)、平和文化賞(神戸新聞)、教育功労賞(文部省)など、数々の教育関係の賞を受賞。篤信の念仏者としても知られている。1991年4月18日に逝去。豊岡市但東町(元町役場に隣接)に東井義雄記念館がある。