「生きるということは
長さの問題ではないのではないですか」
と
炎天の葉陰の
沙羅(さら)双樹(そうじゅ)
たった一日のいのちを
いかにも 静かに
咲いてみせてくれている
清楚 そのもののように。
きのうは
あんなに清楚に咲いていた
沙羅双樹
けさは
地におちてしまっている(中略)
じゃがいもを掘る
「見えないところに
どれだけ『徳』を蓄えることができるか
それが
『生きる』
ということではないですか」
と
しっかり生きたじゃがいもほど
しっかりした薯(いも)をつくってくれている。
出典:東井義雄「お米のいのち心から拝んでいただく」探究社・法藏館(令和5年8月)2頁—4頁