一番 大切なことは
この 嫌われるのが当然の
きたない 私が
ほんとうは「孤独ではない」という事実に
目覚(めざ)めさせていただくこと(中略)
老いて 見えにくくなってきたことは事実であっても
聞こえにくくなってきたことは事実であっても
まだ 見えたら
まだ 聞こえたら
それは 充分
よろこぶに値することではないか(中略)
「おかげさま」の見える目をいただこう
そうなれたら
この「老」さえも
「『老』のおかげさまで」という世界が
拓(ひら)けてくださるのだ
出典:東井(とうい)義雄(よしお)「お米のいのち心から拝んでいただく」探究社・法藏館(令和5年8月)8頁—11頁